最近「気」というものについて気になっている。 宇宙、地球、大地、海、森、樹々、動物、そして人の中に確かに在るものだという。「目には見えないが、それに触れると感じられるもの」だという。 なるほど。言葉がなくても動物や植物と皆な「気」で話してるもんねぇ。
昔は、今この現代よりもずっと、もっとリアルに扱われてきた物なんじゃないかと思う。その証拠のひとつに、「気」を使った言葉の数が半端ない。今では「気」の存在はさておき、その言葉の感覚だけを使い合っている感じだ。
気を使う、気が抜ける、気を放つ、気になる、気にしない、気をつける、気をそらす、気が遠くなる、気分がいい、気持ちがいい、気前がいい、気持ちが悪い、元気、病気、気を確かに、気が強い、気が弱い、気がつく、気のせい、、、、辞書を開けば山ほど出て来そうだ。
どの言葉も、よく見ると意味深いメッセージが込められているような気がする。「気がする」また「気」だ。
自分というものをつくっているかなり重要な要素であり、それをうまくコントロールすることが大事なんだろうと、この頃ぼんやり気づいている。( はい出ました「気」ね ) 気の存在を意識して過ごしてみるということかな。これから。
そして人は、それぞれが違った「気」を持っているものなんでしょう。それらは磁石の磁力のように、引き寄せ合ったり、反発し合ったりするのを感じることが出来て、会った瞬間わかる、という体感を皆さんもよくしていると思う。それに対しては無理せず自然であった方がいいんだろうなと思う。どうしようもなく「気」の存在があるわけだから、バッチリな人とは出会いを喜んで。そうでない人とは、にらみ合う必要もないし、誰とでも仲良くやろうと思うこともないかと。「つきあい方」ってあるしね。
自分を組み立てている要素、「気」とか、魂とか、遺伝とか、運命とか、本能とか、エネルギーとか、なんかそういうものがうねるように高まったり引いて行ったりすることは無意識のうちに自分の中で巻き起こるものであって、それは消えずに在り続けるものであって、今日の私というものはそれを開放したり沈めたりする小さな役割をやっているだけなんだろうと、、、、ってなんかややこしいい話しになって来たのでおしまいです。
気の合うやつらと集まって、音楽をやろう! サイコーじゃん。